うつ病ラボ~本当の自分を取り戻す☆活かす方法~

本当の自分を取り戻す☆活かす方法

妹の命の灯が消えた日⑩

私は中絶の手術をして自宅にふらふらになって帰ってきて、自宅の畳に横になった。
真夏で外は蝉が煩いくらい泣いているのに私は寒さで震えていた。毛布を出してきて包まっていた。


全身が痛かった。

 

“私はいくら罰を受けたら赦されるだろうか”

 

悲観的になりながらも窓の外を見ると空はとても綺麗に晴れて、ベランダにはいつか植えた種がいつの間にか花を咲かせていた。

 

“ずっとほったらかしだったのにね”

 

咲いたたくさんの白い花を見ていたら、その健気な姿に私はとても胸を打たれた。誰かに褒められるためでも、認めてもらうためでもない。花はただ時期がきて精一杯咲いているだけだった。

 

私はこの花から勇気をもらって立ち上がれた。

 

“仕事しよう、引越しをしよう”

 

と。

 

しかし決意したものの、まず引越しするお金がない。
就職活動する体力も精神力もまだ自信がなかった。
それで私はお金のために手っ取り早く慣れた水商売を選ぶことにした。

 

すごく一生懸命働いた。

 

元々水商売は私の気性には合わないのだけれど、丁寧な接客を心掛けてお客さんがどんどんついた。その時の私にとってお客さんがついてくれるということは、商売というところまで全く辿りついておらず、ただ“私は必要とされている”と自尊心をほんの少し満たしてくれるものだった。よいお客さんとスタッフに恵まれて、私はそのお店でリハビリを兼ねながらお金を貯めていくことができた。

 

ある程度まとまったお金が貯まって、心身共に自信を取り戻してからまた看護助手の仕事に戻ることにした。私は妊娠が発覚した時にそれまで10種類飲んでいた薬を一気に止めたのだが、中絶しても止めたままだった。やはり電車ではパニックになりそうなこともあったし、急に理由もなく憂鬱になることも不安になることもあったけれど、薬を止めて更に症状が悪くなることなど一切なくて、むしろ回復が早かった。また看護助手の仕事をする自信も勇気も取り戻すことができた。

 

すぐに大学病院の看護助手の仕事が決まった。不安半分、希望半分…毎日すごく緊張しながら出勤したけれど、ここまで回復できた自分に満足していた。産んであげられなかった子供に対して、私は赦されるために頑張ると決めたのだ…

病院で3ヶ月くらい働いたところで、病院の近くに引越しすることにした。

 

念願の引越し…
10代から独りぼっちでたくさん苦しんだ部屋からやっと出られる日が来た。これで全て新しい自分に生まれ変われる…そう思っていた。私は全てが自分のことで精一杯だった。

 

 

…だから私は妹のことを置いていっちゃったんだ…

 

そして、引越しの当日未明、妹はまるで私に

 

“お姉ちゃん、私を置いていかないで”

 

としがみつくように、道路に飛び出して2台の車に撥ねられたのだ。