うつ病ラボ~本当の自分を取り戻す☆活かす方法~

本当の自分を取り戻す☆活かす方法

妹の命の灯が消えた日⑦

父が倒れてから一年が過ぎた頃、妹の自傷行為うつ病が酷くなり、私も重度のパニック障害になった。

“家族の介護”

ということは言葉だけでは計り知れない苦労と苦悩がある。

 

自分も人間
一緒に介護する家族も人間
介護される方も人間
それぞれの価値観は違うし、病院や施設の対応に傷つくこともある。


私は子供の頃から父が大嫌いだったけれど、それは酒を飲んで暴力を振ったり大声を上げたり物を壊したりするから。父は精神的に弱かったと思うし、病んでいたと思う。

 

ある時、父が台所の床にマヨネーズを塗って食パンを敷き詰めていたことがあった。
幼い私は、父のそうした奇行を度々目にし、その度に父に近寄りがたさを感じていた。

 

どうしたらお父さんは治るの?
私は何もできないの?
私がいなきゃいいのかな?
私は生まれてこなければよかった?

 

幼いながらに私は父の苦悩を感じ取って自分の無力さを感じていた。だから本当のことを言えば、お父さんが嫌いだったのではなくて、役立たずの自分が一番嫌だったのかもしれない。


本当はお父さんを愛していて、自分を見てほしかったから、お父さんを憎く思っていたのかもしれない。

 

父が脳卒中で痴呆になり、父の男として、父としてのプライドが無くなり、素直に辛さを私に伝えてくれるようになったら、私はもう父を恨む気持ちが無くなっていた。

 

脳卒中で身体が不自由になった父と、私は

一緒に歩く練習をし、
話す練習をし、
食事を手伝い、
そんな中で私は父とのわだかまりが解けていくのが分かった。

 

でも私は一つ後悔がある。

 

私は積極的に父の看病や介護に携わり、父との関係が修復できたけれど、妹は違った。私と介護に対する温度差がすごくあったように思う。

 

妹は私と父が介護の中で和やかになればなるほど恨めしそうに私たちを見ていた。すごく嫌味を言うこともあったし、父は私の言うことだけを良く聞いてくれて、他の人のいうことは聞かなかった。

 

私は妹を置き去りにしたまま自分の気持ちだけで動いていたと思う。

 

今なら分かるけど、妹は私に嫉妬していたと思う。

 

私はどうなるの?

 

って。

 

父は脳卒中で始めに搬送された病院からしばらくするとリハビリ専門の病院に移った。その後、自宅介護か老人保健施設に入所するか、という選択になって私は自宅介護を望んだけど、母と妹は自宅介護を望まず、父は施設に入所することになった。

 

 

私は父が倒れる前の元の生活に戻った。また実家を出て自分のアパートに戻り、仕事も再開した。

 

だけど、その数カ月後位から過呼吸になって電車に乗れなくなった。だから仕事に行くのも一苦労。帰りが終電近くになったりすると結構満員電車で途中何回か駅で降りて休まなきゃいけなくなった。

 

次第に仕事は休みがち、日中の太陽の光がダメになって朝カーテンを開けられなくなった。そして少しの音にも過剰に反応するようになって、頭の中がうるさくなった。

 

とにかく、全然外に出られなくなって、近くのスーパーで菓子パンだけ買って引きこもる生活になっていった。憂鬱になったり、興奮状態になったりして不眠も続くようになった。


辛くて何とか頑張って近くの心療内科に行くと、パニック障害と重度のうつ病だと診断された。


始めは三種類位の薬をもらって帰った。ハルシオンワイパックスパキシルだったと思う。ハルシオンって食欲が落ちて、全然食べなくてもいられて、食べることすら忘れる。だから体重はすぐに10㎏も落ちてしまって、うつのせいなのか薬のせいなのか分からないけれど、毎日ぼーっと部屋の中でうずくまっているだけだった。

 

私の住んでいた部屋は西日が良く当たって、夕方になるとカーテンの隙間から夕陽が差した。その時間になると私の憂鬱はピークに達して、死にたい欲求でいっぱいになる。

 

生きるのが辛いから、というより
生きているのが死ぬことより余程みっともない気がして仕方なかった。

 

仕事に行けないから経済的にもしんどい。夕方になると頭の中で声がして

 

“死んだ方がいいよ”

 

と言われる。それが耐えられなくて、私はオーバードーズ(過量服薬)をして、声を聴かずに熟睡しようとする。

 

なんでこんな風に自分がなってしまったのか、その時は全然分からなかった。理由なんてなくて、私はただ神様に嫌われているからだと思っていた。

 

あの時にもし死んでしまっていたら、今の私は…なかったと思うとこわい。

 

絶対、死んではいけない。生きなきゃいけない。