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病み姫セルフヘルプ【うつ病ラボ】

女性が自分でうつ病やパニック障害、依存症を克服するためのブログ。プロフィールも見てくださいね♪

妹の命の灯が消えた日⑥

10代から始まった私たち姉妹の摂取障害と自傷行為は20歳を過ぎても一進一退。
少し善くなったり、また悪化してみたり、
あるいは過食は改善してきたけれど今度は他のものに依存したり…

私たち姉妹は一緒に暮らしていなかったけれど、同じように心がいつまでも晴れずにいた。

 

私が24歳になる年、
アル中で家庭内暴力がひどかった父が突然脳内出血で倒れた。
ここから私たちの家族の状況はまた大きく変わった。

 

当時私は病院でリハビリ助手をしていて、
ちょうどお昼休みに妹から携帯電話に連絡がきた。


「お父さん、脳内出血で倒れた!…多分死んじゃう…!!!」

 

妹の声は静かだったけど、震えていた。
私はすぐに仕事を早退して父が搬送された病院に向かった。
職場から病院まで電車とタクシーを使って二時間…ずっと祈っていた。

 

「お父さん、まだ死なないで」

 

私が病院に着くと
父は大学病院の集中治療室にいて、母と妹が父の傍で固まっていた。


父に会うのは久しぶりだった。会わないうちに身体は痩せ細っていて、
顔と頭は脳内出血のせいで誰だか分からないほど腫れていた。
父は倒れる少し前から頭痛がひどくて食事をしていなかったらしい。

大酒飲みでヘビースモーカー、短気で高血圧。
父の目はいつも澱んでいて不健康そうだった。

その時の医師の説明だと、
父は少し前からいくつか脳梗塞を起こしていたようで


「以前から脳梗塞を何回かしていますね。今回は大きな出血ですから、いつ容態が急変してもおかしくありません。覚悟して下さい」

と言われた。

 

私はしばらく仕事を休ませてもらって自宅から父の病院にしばらく通うことにした。
父は、一命は取り留めたものの、重度の障害が残ると医師から言われた。
右半身の麻痺、言語障害、記憶障害…

 

搬送されて、翌日の昼に父の意識が戻った。
でも明らかに目の焦点は合っていなくてまっすぐ前を見たまま、
動く左手でせわしなく自分の身体を触り、興奮して唸っていた。


医師は
「まだ自分の状況を飲みこめていなくて、パニックになっているようです。興奮状態が続いています」
と父を見ながら言った。


父の状態を見て唖然としている私たちの傍で医師がそう言った。

「お父さん、分かる?私よ!分かる?」

母が父の左側に寄り添って泣きながら話しかけた。
母の声が分かったのだと思う。父は更に興奮して唸り始めた。
父は何か言いたそうだけど、言葉が出ない。喋れない…

 

父が意識を回復してから
リハビリがどんどんすすんでいった。
私は自宅に帰って仕事に行き、早退させてもらって父の病院に向かった。

 

私たちを苦しめてきた父親だったけれど、母も私も妹も必死に看病した。
私はそんなに長く父と過ごしたことはなかったし、家族が揃うのは本当に久しぶりのことだった。

 

父の看病と介護の話はまたいつか別に書けたらいいなと思っている。

 

看病、介護というのは本当に孤独で心身に負担がかかるものだ。
経験のある人ならきっと分かると思う。
人間の心は家族といえども自分の思い通りにはいかない。

 

その時は必死で気付かないこともあるけれど、将来に対する心配や不安が家族を襲う。
介護は子育てと違って、先が見えないし、希望も持ちにくい。家族間で介護の方針が異なってケンカになることもある。

 

だから、介護は絶対介護する人が負担になって病気になるようではいけないから、
自分一人で背負いこまず、できるだけ公的な機関にお世話になったり
介護者の息抜きも意識的にした方がいいと私は思う。

 

 

話しは逸れたけれど、私たち家族も初めての看病、介護で肉体的にも精神的にも経済的にも大変になっていった。

 

父は動かない身体に苛々して大声で暴言を吐いたり、
私たち家族や看護師さんに暴力を振ったり、
ベッドから脱出しようとして何度も落ちたり、
隣のベッドのおっちゃんにケンカを売ったり…
すごく暴れん坊なのは倒れる前と変わらなかった。

 

だけど、介護してすごく良かったのは、
分かりあえずに離ればなれになっていた父と介護を通して向き合えて、お互いの本心を分かり合えたこと。

 

父が本当はどの位家族を愛していたか、
愛していたのに、自分をコントロールできなくてお酒に逃げて
家族を傷つけてきたことへの罪悪感、後悔、それがすごく伝わってきた。

 

脳内出血の後遺症で痴呆になってしまった父は
すごく素直に自分の気持ちを話してくれた。
それまで聞いたことのなかった

“ありがとう”
“ごめん”

もちゃんと言ってくれるようになった。

 

そうやって良かったこともこうしてたくさんあったけれど
特に私の場合、若かったから視野が狭いし、
周りに介護で分かり合えて、励まし合える友達もいなかったから
すごく介護の毎日はしんどかった。

もちろん妹にとってもそうだったと思う。

 

父が倒れてから一年位が過ぎた時、
私たちは疲れていたのだと思う。
妹の自傷行為うつ病が酷くなって
私は重度のパニック障害になった。