うつ病ラボ~本当の自分を取り戻す☆活かす方法~

本当の自分を取り戻す☆活かす方法

妹の命の灯が消えた日③

私と二歳下の妹は思春期から摂取障害になった。


私たちは摂取障害から始まって始まって、様々な精神疾患に陥っていった。

 

私が摂取障害になったのは中学生の時だった。

 

小学生の頃、私は太っていたので、自分の体型がきらいだった。
体操服に着替えなければならない学校の体育の授業は苦痛で、足も遅くて行動も鈍いので男子からよくからかわれもした。運動ができる友達が羨ましくて仕方なかった。
そんな自分を変えたくて中学校では勇気を出して運動部に入る決心をし、柔道部に入部した。

 

いくつかある運動部の中から柔道部を選んだのは、柔道なら道着を着るから太っていても目立たずに済むと思ったからだ。

 

初めて挑戦した柔道はとても面白く、私は稽古もトレーニングも積極的にした。
筋肉をつけ過ぎて体脂肪が減り、生理が止まったこともあるほど自分に厳しく稽古に励んだ。身長が低かったので、軽量級で試合をするために減量もした。


稽古するほど結果がついてきて、柔道を始める前までは鈍くて劣等感のかたまりだった私が、大会で入賞して賞状をもらったり、大人から褒められるようになったりして、見違えるほど自信をつけていった。きらいだった自分の体型も、自分に自信を持つことで気にならなくなり、人目を気にせず自分のやりたいことに集中できるようになった。

 

この頃は身体に不調があっても、柔道が楽しくて、何も苦にならなかった。
厳しい稽古に身を置くことも食事制限を頑張る自分にも優越感を感じていたのだと思う。


中学二年生の時に、我が家は父の都合で引越し、それに伴い私は転校をした。転校先でも私は柔道部に入り、部活に励んだ。転校後は環境の変化と思春期の影響で心のバランスがうまくとれなくなってきたが、不安や不満、心配事は、全て柔道への情熱に変え、転校前以上に柔道に励んだ。

 

この辺りから私の過食嘔吐は始まった。


部活を終えて帰宅し、誰もいない家の中で何かを食べることが私にとってのストレス解消だった。試合前の減量時以外はお菓子など苦しくなるまで食べ続けた。そして肥満に戻ることへの恐怖、減量の不安を抑えるために食べた後は嘔吐して安心を得るようにした。


いつもぎりぎりまで好きなものを好きなだけ食べ続けるので、減量は過酷になった。下剤を使ったり、水分を摂らずにサウナに入ったりもした。それが次第に食べることへの罪悪感に繋がっていくようになった。

 

しかし中学では大会で優秀な成績を修めることができたし、学業も成績が向上していたので、そのことが自分にとって自尊心に繋がったし、誰にも相談せず自分ひとりで過食嘔吐をすることの報いだと思っていた。

 

私は更に柔道のランクを上げたくて、高校は全国でも名の通った柔道の名門校の推薦を受けて進学した。とても楽しみにしていた高校生活だったが、入学後に待っていたのはとても過酷な稽古と勉強の両立…

 

精神的にも肉体的にも全く余裕の持てない日々が始まった。
しかも全国に名の通った柔道の名門校であれば、私以上の強さと可能性を持った選手が全国から集まっている。いくら真面目に稽古をしたところで、追いつけないレベルの違いも感じ、私の自信は挫かれ、柔道という鎧をはずしたら、また劣等感だらけの自分に戻っていた。

 

その頃、同時に父親も仕事に行き詰まっており、酒の量が増えて以前にも増して、家族に対しての暴力が酷くなっていた。
そんな時に、いつもと同じように酒を飲んで怒鳴り暴れ始めた父親に、私の苛立ちはピークに達した。初めて父に物を投げつけ、厳しく罵って反抗した。

 

「小さい頃からあんたなんか死んじゃえばいいといつも思ってきたんだ!あんなたなんか死んじゃえ!」

 

父は私の言葉を聞いて容赦なく私を殴り倒した。私は父を睨みながら立ちあがり、台所に行ってみそ汁のお椀に水を汲んだ。そして父親の頭の上からその水を流した。

 

「お前なんか死んじゃえ!」

 

私は、父が怒りよりも哀しみに満ちた目で自分を睨んでいたのを今でも覚えている。父と、父に殴られている自分を助けようとしない母に対して憎しみが増幅していた。私は全てに絶望した。親への不満、努力しても報われない現実、何の取り柄もない自分自身に…

 

その日から、私の親への期待はただ学校ややりたいことのために使うお金をもらうことだけになった。

 

私は自宅を出て親戚の家に下宿させてもらい、そこから学校に通った。


自宅を出て、下宿先の部屋に一人で落ち着くと、両親から解放されてさっぱりしたと同時に、虚しさが込み上げてきた。両親から離れても過食嘔吐は続いた。


日曜日の午後は決まって食料を買い込んで部屋に籠り、ひたすら食べ続けた。そしてトイレに入り、手を口の中に無理やりつっこんで嘔吐する。心身の不安定から柔道の成績はどんどん下がり、怪我は絶えず、何をしてもうまくいかない…行き場の失った怒り、不安、哀しみの感情が心身を乗っ取り、取り憑かれたように食べては嘔吐をくり返した


高校三年の受験時には柔道を好きだった気持ちもすっかり失ってしまい、柔道をしない進路を選択した。初めて自分に自尊心を与えてくれた柔道が自分の中から消え、私は拠り所を完全に失った。


柔道に代わる楽しみを見つけるために色々なことにチャレンジしてみたものの、柔道に代わる楽しみは見つからず、進学してからも偏食は続いた。


更に煙草と飲酒も加わり、体調や精神状態は悪化し続けた。落ち着かない、苛々する、理由もなく憂鬱になる、そして不眠、うつ病のような症状に悩まされた。

 


その時初めて心配した友達に連れられて精神病院に行った。そこで抗うつ剤も処方してもらったものの、焦りと悔しさから過食嘔吐をくり返し、煙草の量も増えて心身のバランスはすっかり失われていた。原因不明の失神、蕁麻疹にも悩まされた。

 

周りの人達がみんな心配して

「まともな食事をしなきゃだめだよ」

と声をかけてくれるのだが、私は“食事”という言葉に過剰反応し、苛立った。食事に対して誰かに何かを言われるのを避けるために人前で食事をするのも避けた。この頃の私の食へのこだわり・嫌悪感は、典型的な過食症の症状だった。

 

母からは実家を出てからも定期的に電話がきて、近況を話していたが、当たり障りのない内容だけを伝え、過度に干渉されたり実家に連れ戻されたりしないように過食嘔吐と精神不安定については一切言わずにいた。

 

また、休むことへの恐怖感があり、学校での授業の他にバイトはかけ持ち、空いた時間はボランティア活動、と予定を詰め込んだ。睡眠時間は四時間と決めて、休日は一切作らなかった。もちろん、独り暮らしを支えるための金銭面的な事情もあってバイトを詰め込んでいたことも理由の一つだが、少しでも休んだら太るのではないかという強迫観念と自分は休むに値しない人間だという固定観念で休まずにいた。

 


痩せていなければ自分に価値はない、痩せていなければ人生に価値などない、と本気で思い、自分の全てがきらいだった。