こんにちは(^◇^)スピリチュアルケアセラピストのサティです!
柑橘系の精油は比較的初心者でも生活に取り入れやすい精油で、リラックスにもリフレッシュにも使えるのでメンタルケアにはとても重宝します。
スプレーにしたり、アロマポットで焚いたり、入浴剤にしたり、またハンカチにしみこませて嗅ぐのがおすすめです。
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こんにちは(^-^)
スピリチュアルケアセラピストのサティです。
うつ状態に陥ってしまう原因は人それぞれ様々な理由があります。主な状態として
・大切な人を失った、また大きな環境の変化があった場合など、明らかに原因がわかっているうつ状態の場合
・月経前症候群や産前産後、更年期障害のようにホルモンバランスの乱れでうつ状態になってしまった場合
・原因・理由が全く分からないが、ずっと気持ちが落ち込んでやる気が出ない、慢性的なうつ状態
このような状態が挙げられます。
もちろん複数の要因が絡まってる場合もあります。
アロマテラピーにはたくさんの種類と使い方があり、様々なうつの背景にも対応してくれます。
こんにちは(^^)
病み姫セルフヘルプアドバイザーでヒーラーのサティです。
▼プロフィールはこちら▼
アダルトチルドレン、摂取障害、自傷行為、オーバードーズ、うつ病、引きこもり、性逸脱、…ティーンエイジャーから始まり、中々抜け出せない女性の心の闇。
私と妹もそんな病み姫でした。
アルコール依存症の父の元で育ち、暴力と暴言におびえながら幼少期を過ごしてきました。
私たち姉妹は中学生から摂取障害が始まり、そこから20代半ばまで様々な依存症とうつ病などに苦しんできました。
病院にも行きました。
薬も飲みました。
でも中々症状が改善しませんでした。
“私は神様に嫌われているから、頑張っても一生心の病気は治らない”
私たちはそう思って生きることを悲観しました。
そして妹は自ら命を絶って亡くなりました。
妹が亡くなってから、私は心の病を手放すために奮起したのですが、それは孤独な戦いの始まりでした。
心療内科、カウンセリングなどに通って真面目に薬も飲み続けてきましたが、症状は全く変わりませんでした。
病院や薬を服用する以外でほかにできることはないか?
そう思い、様々なセラピー、療法を試してみました。
その中で心の病に効果があったセラピー、療法、ライフスタイルなどをここで紹介していきたいと思っています。
心の病は病院に行って薬を飲んでいるだけでは、ほぼ治らないと私は確信しています。うつ病などの心の病は感染症のようにある一定期間薬を飲んで治るようなものではないし、怪我のように目に見えて回復がわかるものではありません。
不調を治すために生活環境を整えること
ものごとの受け止め方を少しずつ変えること
がんばらなくて良いところと、少しだけがんばるところを見極めること
これらをたった独りでやりきることはとても難しいことです。
思うように進まず虚しくなったり
結果が中々出ずに自暴自棄になったり
こんなことが一生続くのかと悲観的になって諦めてしまったり…
家族に助けてもらいたいけど、状況的にそれが難しい人もたくさんいると思います。
がんばり屋で傷つきやすくて感受性が強い病み姫が、自分で自分を助ける“セルフヘルプ”“セルフケア”の方法がわかれば、効率よく治療に励めるのではないか。
孤独感から挫折しそうになった時にこのブログを読めばまた力が湧くのではないか。
そう思ってこのブログを書き始めました。
私と同じ経験を持つ方の体験談、ご感想、ご質問などコメントやメッセージいただけたら嬉しいです。
かけがえのない妹の存在を失ってから私は
必死に自分を変えようと努めた。
娘を一人で出産した後すぐに働き始めた。
良いと聞いた病院にはすぐに行ってみた。
カウンセリングや様々なセラピーを受け、沢山の本を読み
自身のうつ病やパニック障害、強迫観念などの精神疾患を克服しようとした。
けれど、産後の体力で働きながら自分を変えることは思っていた以上にエネルギーがいった。一進一退で、自分では中々前進しているように思えなかった。
自暴自棄になることもあった。リストカットしたくなったりオーバードーズしたくなったり…一人で心の病みを克服するのは本当に難しくて心が折れた。
そんな私をいつも励ましてくれたのは妹と娘の存在だった。
二人の存在が私を正しい道に引き戻してくれた。
赤ん坊の娘が寝た後に泣いて、
「こんなお母さんでごめん」
と謝ることもあった。
そんなできそこないの母親だった私も、一生懸命働いて、治療に専念し、娘を慈しむことで、無我夢中で走り続けていく中で精神疾患は消えていった。
私を変えてくれたのは妹と娘だったと思う。
でも今でも私は二人に対してに罪悪感があるし
それは一生消えないものだと思う。
でもその罪悪感が今の私の向上心の源になっているのだと思う。
私は妹にとって最低のお姉ちゃんだったと思う。
だけど、妹が亡くなって10年が過ぎた今も
妹は私のそばで応援してくれているような温かな空気を感じることがある。
私は何故、臨終の連絡が来たにも関わらず、すぐに妹のそばに向かわなかったのか。
また妹の葬式に何故行こうとしなかったのか。
それはただただ、妹の変わり果てた姿を私は見たくなかったからだ。現実を受け止める余裕が全くなかったから。どうしても行くことができなかった。
自分にとって大事な人が亡くなった時、その時はどんなに辛くても本当は会いに行くべきだと思う。その現実をちゃんと見なければいつまでも受け入れることができないからだ。
だけどその時の私には、妹の亡骸を直視することはトラウマになってしまうのではないかと怖くなる程堪え難いものだった。その時の私には、ベットの中でお腹を抱きしめて独りで泣いて謝ることが精一杯だった。
妹は死んでしまった。
でもお腹の子供は懸命に成長していた。
私はベットの中で命の入れ替わりを感じた。
妹が元気だったら、このお腹の赤ちゃんをどんなに喜んでくれただろうか。いや、この子は妹の生まれ変わりなのだろうか。
後日、私は妹の納骨にだけ参列した。お墓の前にお坊さんと母と私だけ…
お墓の中に骨壷を納める時に、石材屋が骨壷の蓋を開けた。その時に妹の喉仏を見て、妹は死んでしまって、もういないのだとはっきり理解した。
何がいけなかったのだろう。
誰がいけなかったのだろう。
私はもっとやれることがあったのではないのか。
そんな思いがずっと頭の中を巡った。
私は最低の姉だから幸せになってはいけない、と言う自虐的な考えと、
私は妹の分も幸せにならなければいけない、不幸の連鎖は私が止めなければいけない、娘は私が幸せにしなければ…という考えが葛藤した。
でも結果、私を前向きに動かしてくれたのは娘の存在だった。
この子は私が守って、育てなきゃ。だから私はもっと強くなって、自分を変えなきゃ、そう思った。
自分がまた妊娠していることに気付いたのはサトミが脳死してから1ヵ月ちょっと経った雨上がりの日だった。
妊娠検査薬を試したら陽性だった。誰にも報告せず、病院に独りでいった。
病院での検査結果も陽性反応だった。
病院の帰り、近くの公園でNと待ち合わせた。
「私、妊娠してた!」
私は喜んだ。それはNの子だからじゃない、
妹の代わりの天使が私のところにやってきてくれたからだった。
Nも喜んだ。
「これで君はもう死んだりしないね」
単純にそう喜んでくれた。
でもその後が問題だった。
妊娠したのだからNと結婚しなければならない。
だけど妊娠はうれしいと思ったのに結婚は絶対嫌だと思った。
私はNが好きでないのは勿論、私の中に“結婚”という価値観が全くなかったのだ。
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ある時、妹とドライブしていた時に結婚の話をしていた。
私たちはよくドライブをしながらお喋りを楽しんだ。
「結婚なんて、みんなどうしてするんだろうね。女が我慢して痛めつけられるだけだよ。私はお母さんみたいにはなりたくない」
私がそういうと、妹は
「うん、分かる。幸せになんてならないのにね。どうして女の人は結婚したがるんだろう。…あっでも、好きな人の子供は産みたいなと思う」
私たちは“結婚は不幸の始まり”だと思って疑わなかった。
自分の両親の姿を見て育って、女性側が得られる結婚のメリットを全く感じられずに育っていた。
とても狭い価値観だったけれど、子供にとって、価値観は自分の育った環境や親の言動で決まってしまう。
…私たち姉妹は本当に心から結婚の良さが分からなかった。
平穏無事な家庭も、両親の笑顔も見た記憶がなかったから…
「でも私は子供も産むことないと思う。お姉ちゃんは産んでね。私の分も…」
妹は運転しながらそう言った。
私は軽く受け流したけれど、妹は本当に子供を産むことなく死んでしまった。
その時から死ぬつもりだった?それとも自分には育てられないと思ったのか。
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当たり前だけど、Nと結婚しないと私が言い張ると皆が猛烈に反対した。
Nの両親も私の母も、もちろんNも。私は四面楚歌になっても結婚を拒んだ。
妹がいまここにいてくれたら分かってくれたかもしれないと思った。
男と結婚しても男に泣かされるだけ…
それならシングルで子供を育てた方が絶対私も子供も幸せ…
私はそう信じていた。
Nからの着信は拒否。Nが私の部屋にやってきても鍵を開けずに居留守した。
最後まで私はNから逃げ続けた。
つわりが始まったのか気分が悪くて独りでずっとベッドに横たわっていた。風呂も入らず、食事もせず、三日間トイレ以外に起きない日もあった。集中治療室で眠る妹にも会いに行かず、私はお腹の子供と、思い出の中の妹の姿を抱きしめたまま独りで眠り続けた。
11月21日、母から私の携帯に電話がかかってきた。
脳死して眠り続けていた妹の心臓ももう止まろうとしていた。
「もうダメだって。心臓ももう止まるって」
母は涙を堪えたような声でそう言った。
私はそれでもベッドから出ずに寝続けた。
翌日、妹は天国に行った。
私はベッドの中で号泣したまま、妹の葬式には出なった。
お腹を抱きしめたまま、泣き続けた。
私は最後まで妹の傍に行かなかった、最悪の姉だった。